ドライブの凡人



広いアメリカ 色んなものありますね。


閑散とした空港。ここはIowa隣の州、ネブラスカの州都Omahaの空港。凡人は家から20分のCedar Rapidsの空港をもちろん一番よく使いますが、他にも家から1時間のMoline空港、4時間のChicagoのO'Hare国際空港(これが、ちょーメジャー)、Midway空港、Omaha空港など計5つの選択肢を使い分けています。

というのも、Cedar RapidsにはUnited,
American, Northwest, Delta, Contintinental Airline等のMajor航空会社しかないのですが、他のO'Hare、Chicago Midway、Moline、Omaha空港にはMinor航空会社もあって、それらがしばしば低価格を提供するからです。価格の違いは実に200ドル以上もあります。ちなみに、この旅ではアメリカ西南部PhoenixとかAlbuquerqueとかを拠点としてましたが、America Westが大バーゲンやってまして、週末(金曜夕方発、日曜深夜帰り)往復が170ドルくらいでした。安いもんです。凡人の繰り返す冬の旅行はそういった安い航空券に支えられています。
安い航空券を探す要領はいくつかありますが主だったものには以下のものがあります。

(1) Hotwire、Expedia、Orbitz、Travelocity、Cheap Ticket、(TravelzooのSupersearch)等を使う
(2) Pricelineで逆オークション勝負する
(3) Minor Airlineのバーゲンチェック
(4) TravelzooのTop20をチェックする

などです。これらを駆使して安い航空券を探すわけですがその際に、上記5つの空港を必ず調べ分けます。これポイントです。そしてまた時にMajor Airlineが一定期間バーゲンセールをしばしばやりますので、その方がいいこともあります。総じて、アメリカ国内である限り、ハブ空港になっている大都市であれば180ドル以下、小さな都市であれば230ドル以下であれば、それは”買い”です。たかが一回の小旅行に250j以上なんて論外、余程でなければ買いません。ちなみにFloridaのOrlandoや、NevadaのLas Vegasなどのように往復100j少々で常に安くいける場所もあります。これらの場所は航空券レベルでも観光誘致しているのでしょう。

さて、今回は先のOmahaからNew Mexico州の州都Albuquerqueに来ました。
New Mexico州 かなり雰囲気のある特徴的な場所です。Native American(インディアン)の文化がアメリカで一番色濃く残ってます。
New Mexicoの道路は素晴らしく運転しやすいです。New Mexico州そのものがロッキー山脈最南部に位置していることもあってなだらかな山も多いですが、総じてド平坦。モンタナ、ネバダ等と同じかそれ以上に壮大な盆地が広がっています。うーん、今まで見た中でもNew Mexicoが一番平坦な場所が多いといっていいかもしれません。

ちなみに、この道路はあのWhite Sandsのちょい北東あたりのものなのですが、この写真左手には
このとおり、胸のすく思いのする程の広々とした場所があります。丈の低い潅木以外には何にもありません。でも写真に写したように鉄条に囲まれたこの場所は
世界で始めて原子爆弾実験が成功した場所です。世界初の原子爆弾はTrinity。この写真はTrinityの爆発する姿です。それは1945年7月16日のことでした。これを世界初で成功させた、ロバート・オッペンハイマーは言いました。

「われは死なり、世界の破壊者なり...」

Trinityの名をとって、上の写真の場所はTrinity Siteとか言われているそうです。自分が運転しているこの場所も何度となく放射能を被った場所なのかもしれません。第2次大戦中7月16日にTrinityで成功した後、8月6日にはヒロシマが、8月9日にはナガサキがやられました。Trinity成功後、わずか2週間ですよ。アメリカは当時、それを使うことに躊躇しなかった訳です。それは日本人の自分に辛い過去の歴史であり、この場所は特別の感情をもって眺める場所です。

『単なる平地、砂漠にしか見えないのに...』
この砂漠にある町アラモゴードはすぐ北にあるTrinity Siteで有名な町であり、今でもアメリカ軍事産業の一大拠点です。超巨大な空軍基地等もあります。そして更にこの北300キロにはLos Alamosがあります。Los Alamosで原爆は開発され、その南に広がるアラモゴードで使ってみた、こういうことなんですね。

写真はアラモゴードのミサイル展示物
Trinity Siteの北には真っ黒な岩がゴロゴロした溶岩台地がありました
原爆で溶岩がどうなるかアメリカは知りたかったんでしょうか?Trnity siteのすぐ傍です。この場所は。というか、この溶岩が原爆でできてものなのでしょうかね?凡人には分かりませんが、とにかく溶岩台地がTrnity Siteの北側には広々と広がっていました。
この辺り、そういう思いを除けばアメリカ有数の”広い”景色を堪能できる場所です。
とにかく運転してもしても
平坦、平坦。遥か彼方にロッキーの山見えたりもしますが、多くは大地が地平線で終わっています。
運転する自分の前も後ろも一直線です。こういう場所に住む人達は
日本人の自分達とは違います。ま、当たり前っちゃー、当たり前でしょうか。

麺を箸使って食べる辺りは日本人の自分としては大変好感持てます。アメリカ人ってほとんど箸使いませんからね。
やがて何もないロッキー山脈の丘に入って
しばらく運転続けると
とある町にたどり着きます。うお、コンビニに買い物行こうとしたら、コンビニ前にパトカー2台、ピーポー、ピーポー回しながら止まっていました。怖〜〜。コンビニ強盗か何かかもしれません。全米見回したときにNew Mexicoはあまり治安のよくない場所として知られています。気をつけなければ...
ま、そんな恐怖も忘れて、向かったその小さな町は
Santa Fe

ん?どこかで聞いたような?と思っていると思い出しました。不謹慎な。宮沢りえの例のいかがわしい写真集だ。笑。まったく宮沢りえ、”僕らの7日間戦争”の頃のイメージで止まっていて欲しかったもんです。

話がズレました...
Santa Feってどんな場所だろう?と思って運転続けていると道路沿いに町が見え始めました。

『ん?何か茶色いなぁ??』
アメリカの他の何処と比べても
全く雰囲気が違いました。あらゆる建物がこの雰囲気です。銀行も、教会も、マクドナルドも
Santa Fe

New Mexicoらしい景色として強い印象を残しました。この辺りはNative Americanのインディアンの文化とそれを植民地としたスペインの文化とが融合して非常に強く残っているんですね。衣食住全ての面で。

もうひとつのアメリカ

ほんと、そんな感じでした。
Santa Feの町自体、とてもギャラリーが多い場所です。確か、ニューヨークに次ぐアートの町で沢山のArtistが移住してきてるそうです。今回は残念ですが
この町はパス。サイナラ。
その辺り一帯に広大な平原が広がっています。コランポー平原です。

コランポー平原?どっかで聞いたなぁ?と思う人も多いでしょう。
そう、それはあのオオカミの話
オオカミ王ロボの舞台です。著者アーネスト・シートンの卓越した描画力と記述は多くの人に彼の注意深い観察を魅力的に紹介しました。一般的にはシートン動物記として知られていますね。写真はSanta FeのSeton博物館にあったもののいくつかです。Setonのサインが見えるでしょう。上手いもんですね。ホントウに。絵が。
Lobo the Wolf
King of Currumpaw

帰ってから、オオカミ王ロボのアメリカ版を買って読みました。一応、原著といっていいでしょう。話の内容忘れていましたし、思い出すにはいいだろう、ということで。
(ちなみに話はそれますがLoboは狼一般を指す一般名詞です。特定の名前、固有名詞ではありません。もともとシートンが狼を調べた中でも子供にも理解しやすいように加筆修正したもの、それがオオカミ王ロボです。オオカミ王ロボの中ではロボは固有名詞として用いられています。)

コランポーにある農場の牛を次々と襲撃するロボとその一味。ロボは非常に賢く、なかなか罠に掛かりません。そこでシートンがロボ退治に乗り出します。毒を仕掛けた罠などいろんな手段をたやすく見抜いてしまうロボ一味。手も足も出ません。ところがある日、餌につられて、ロボの妻、真っ白い狼、ブランカが捕まってしまいます。

ロボはブランカがいなくなり悲しみくれ我を忘れて探し回ります。うっかり、罠にかかったのはブランカを夢中で探す一途さ故でした。罠にかかった状態ですらロボは凄い迫力があったようです。ロボは捕まった後もブランカのことを想い、人があげようとする餌には一切、手をつけなかったのだそうです。
思い出しました!子供の頃呼んで、知らぬうちに感じていた、家族を思う愛、ロボの気品高い姿を。
それが、実際にこの場でシートンが目にしてきたものだったんですね。シートンはロボを捕まえようとする過程で狼の持つ深い家族愛に心打たれたのです。凡人も何回も幼少時代、絵本でオオカミ王ロボを読みましたが、その時それをなんとなく感じてたのでしょう。当時、それを家族愛とかいう難しい言葉では理解できませんでしたが、それを今になってそういう言葉で理解できるというのは、過去の子供の自分の心に出会ったような感じがしました。

シートンの絵、記述

やっぱし世界の本物は違いますネ。深い感慨を人の心に与えてくれます。
どっかのWeb siteからとって来た写真ですが、今でもこの平原の何処かに狼がいるのでしょう。

ワオオオーーーーン
コランポー平原を通り過ぎて行くと、わたし達に馴染み深い全く別の意味を持つ場所に至ります。
上でも紹介していましたがLos Alamosです。原爆を開発する為にかつてアメリカがここに国立研究所を建てました。

1938年暮のドイツにおけるウランの核分裂発見を契機に、米国内各地の大学や研究所で核分裂に関連する研究が一斉に開始されました。1939年秋に第二次世界大戦が始まると、ドイツで原爆研究が開始されているという情報がもたらされ、ドイツが先に原爆を手にすれば世界がファシズムに制されるとの危機感が高くなりました。こうした危機感を背景に米国でも原爆研究が始まり、1942年9月には本格的な国家軍事プロジェクトであるManhattan計画へと発展していきます。ロスアラモス国立研究所の初代所長としてロバート・オッペンハイマーが就任。奇才アインシュタイン等の力添えもありました。
アメリカは上で紹介した最初の原子爆弾Trinityの成功の後、更にそれを強力化させます。第2世代となる水素爆弾は水爆の父エドワード・テラーによって開発されます。ウランやプルトニウムで核分裂をおこし超高温状態を作った後、重水素と三重水素の核融合反応を起こさせるのだそうです。理論はともかくメガトン級のパワーを持つこれらの爆弾でCold War冷戦時代が幕を開けました。ABC放送がTVで"The Day After"という核戦争映画を一般放映しました。視聴率は実に50%以上だったそうです。かつて核保有国でかつ宇宙飛行までも成し遂げるロケット技術をもったソビエト連邦と緊張状態にあったアメリカは人類滅亡の予感すら抱きながら戦々恐々していたことでしょう。後にアメリカは核戦力技術開発は人類の平和に寄与しないとして核削減の方向をとっていますが、既に世界中の多くの国は抑止力としてそれをもっています。悲しい現実です。
これは開設当時のLos Alamos研究所の様子です。単なるプレハブの集合体にしか見えませんが、
その後、すぐに最新鋭の研究所にまで成長しました。アメリカが巨額のお金を投資し原爆開発に躍起になっていたわけです。

戦争を想定しての研究開発というのはしばしば技術革新をもたらします。そのひとつとして、この原子力は今の発電に欠かせない平和的技術になっています。
また、今、誰もが使っているインターネットなどもアメリカで通信技術開発する中で花開いていったもののうちの一つです。インターネットの原型はFBIが遥か昔開発した結果だそうですし、当時弱小だったIntelにお金を投資し始めたうちの一部は莫大なアメリカ政府の国防予算なのです。
今ではLos Alamos研究所は縮小されています。当たり前でしょうが建物の中に入ることはできません。何か分かりませんが立ち入り禁止の標識がありました。
立ち入り禁止で本物のLos Alamosの姿は見れませんでしたが、博物館がありました。
第2次大戦中、日本の空を覆ったB−29です。超高度飛行するため、日本は何もできなかったと聞きます。第2次大戦中、アメリカはGNP比120%程の軍事費を使っていたそうですが、このB-29には特に莫大なお金を投じたそうです。ホントか嘘か知りませんが、半分くらいB-29にお金投入していたと聞いたことがあります。
そのうちの爆弾ひとつがこれLittle Boyです。ヒロシマに惨事をもたらした奴です。たかがこれだけの大きさのものが10万人以上の人に惨事をもたらしたのかと思うと心苦しいものがありました。
長さ3m、直径70センチたったこれだけの大きさなのに... 原材料はウランってか。
そしてこっちはFat Man。ナガサキに惨事をもたらしました。こっちの方がチョットでっかいですが、それでもたったこれだけの大きさのものが数万人の命を奪ったわけですね。恐ろしい話です。
長さ3m、直径1.5m
原材料はこっちはプルトニウムか...

中心のプルトニウムの核分裂を周囲の爆薬による熱と圧力によって誘発する仕組みのようでTrinityと同タイプの仕様です。

この博物館ではヒロシマ、ナガサキで何が起こったか、それは一切触れていません。あの世界をアメリカの人も現実のものとして公開し、知って欲しいものです。この博物館の内容だけからは、このLos Alamosが何を生みだしたか、という質問には一切答えていないのと同じことだと感じました。ちなみにオッペンハイマーは原爆を落とされた広島と長崎の惨状を知ってそれを悲しみ、戦後、核兵器に一貫して反対する立場に転じました。自らの生涯をかけた研究を否定してでも真実を見つめていたのです。自分のやってきたことの誤りを心から悔い、一生かけて償いたかったのかもしれません。アラモゴードでTrinityに核の超越した力を見た時のオッペンハイマーの言葉が痛切にそれを表しています。

「われは死なり、世界の破壊者なり...」

アラモゴードのTrinity 研究としては大成功だったのに、想像の域を超えたあまりの凄まじさに怖かったのだと思います。
特に、大牟田人である自分は危なかった... 8/9ナガサキに惨劇をもたらしたB-29は写真の経路を見て分かるようにわが町、大牟田の上空も明らかに通っています。もし、パイロットがわが町大牟田をTargetとしていたら、今の自分は生まれていなかったかもしれません。本当に恐ろしいですよ。それに小倉、福岡周辺も飛来していますが、曇っていたから原爆を落とさなかっただけの話なのだそうです。曇っていたから...それが主な理由だそうな。なんともやるせない悲しい気持ちになります。
暗い話になりました。話をもとに戻しましょう。Los Alamosから更に先にすすみます。Los Alamosの先も広々とはしていますが結構な山です。ロッキー山脈の南端辺りなんですね。
爽快に突っ走る道沿いには
リオ・グランデ川が悠然と流れていました。近寄れませんがコロラド川とかと同じように巨大な谷を作っています。どれもそうですが、ロッキー山脈の雪解け水が集まった川(コロラド川、リオ・グランデ川、ミズーリ川等)はとても大きな谷をなしています。ロッキーがそれだけ太古の昔にできた、ということなのでしょう。
ブロロローーーー


凡人号、突っ走ります。
ブゥーーーーンーー


凡人号、突っ走ります。お、これはリオグランデ川の上流か。ん?雪積もってるな。
一路北へ 木々に葉はなく、川は凍りつつある寒々しい景色だです



ブーーーン
進めど進めど






















































ロッキー山脈の真っ只中突っ走るのは
実に爽快
心が大きくなります。
雪が降ってなくてラッキー 降ってたら手も足もでんからね。
ちなみに西の方にはShiprockという巨大な岩がありました。あまりに険しすぎて登ることは許されてませんでした。残念。
こんな山の中に入ってきても、一応行くとこ行けば町があって
クリスマスの雰囲気溢れてました。雪もあって
らしい雰囲気あります。ロッキー山中のこの辺、スキーゲレンデが山のようにあるんです♪ルン♪♪一応、少しだけ滑っときました。
特にSanta Fe、Taosの周辺には沢山スキー場ありましたヨ。時間がほしかった...
そこからちょいと南にはTaosという町があるのですが、そこにはTaos Puebloというインディアンの集合住宅があります。見た目は新しく見えますがこれらはどれも築1000年以上たってて世界遺産に登録されているそうな。で、実際にこの建物中には今でもインディアンの方々が住んでます。先にSanta Feの町で見かけた茶色い建物は古来この辺りに住んでいたインディアンの方々の影響がそのままの形となっていた訳です。ここが元祖なわけです。
古来よりこうして山の中でひっそりと暮らしてきたのでしょう。季節は冬、高度1500mのロッキー山中です。凄い寒さでした。住宅をアパートのように集合した形に作ったのは、暖をとる効率を上げるためだとされています。

夏はもっといい場所なのでしょう。軒先につるされたペッパーが色とりどりに夏場はまぶしく輝いているはずです。
寒いのでこのPueblo(集合住宅)周辺は雪に覆われ、辺りの川も凍ってしまいつつあります。
でも彼らはこの場所を選び、土嚢を固めて壁を作り暖をとってきたのですネ。
その場所では静かに静かに時は流れています。電気、ガス?そんなもの彼らには
必要ないようです。静かなそして何処かしら素朴な雰囲気の場所です。
集合した住宅の間でなにやら人だかりができてるな?と思ってみていると
そこからインディアンの方々が何やら怪しげな風貌してゾロゾロと出て教会前の広場に集まってきました。
小さな女の子もいますが、おっかない妙なお面かぶった方もいます。そして
皆で奏でる音楽にのって踊ってました。いわゆる、何かの儀式という感じです。インディアンのね。

儀式動画    
時間にして約1時間
何かspiritualなものが彼らを突き動かしているのだろうとしか理解できませんでした。凡人には全く意味不明でしたが彼らにとっては大切な儀式なんでしょう。
山間にひっそりとたたずむ静かな町

  Taos Pueblo
そこで彼らは敬虔な思いとともに1000年の時をこえて静かに生活しています。
ロッキーの山々はその全てを優しく優しく見守ってくれているかのようでした。



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